キーワードの自動化の話をしていて

昔、日本語変換用の辞書を作っていた頃を思い出す。よく使う単語とかその場の思いつきで、日常使うなどと分類していたっけ。

今なら、大量のWEBやら新聞やら本の情報を食わせて、辞書を作ったり頻度を調べたり出来る。あんな作業はしなくて済むし、できあがる物も人間がやるよりうまくゆく。便利な反面、人間は何をして、何を作っているかと考えるようになる。

生物の進化が、急激に知識がある生物の発生によって急激な変化を与えたように機械もエネルギーの加工を行う物から、知識で勝負する機械へ変化している。

昔は、エネルギーを別のエネルギーに変換する事が機械のやることだった。それがエネルギーの保存になって、エネルギーを使って計算するようになり、エネルギーをエネルギーとして残すような機械は少なくなり、エネルギーを計算に使って、自らはエネルギーを消費するだけになった最終形態の機械。なんだか人間もそうなっているような気がする。
そのうち、人間を感動させる小説を作るプログラムが出来るようになったらどうするんだろうね。人間って。

それで思い出したのだが、「未来の二つの顔」(ジェイムズ・P・ホーガン)のラスト部分を読んだ時に怖さを感じたのは、上のような発想が頭をよぎったからじゃないかと思った。

ちなみに、「未来の二つの顔」はハッピーエンドです。面白い本ですので読んでください。確か、アニメ本もあったはずです。ただ小説の方がおすすめです。

なぜ、これが怖さを感じたかを次の項目で説明する。