するべきか、しないべきかという話

このリンク先での議論は「しないべきか」という日本語がおかしいという話だが。私は別の所でひっかかっている。
そもそも、「べき」という言葉が嫌いです。普通の判断ならこうするという意味や、自分の意見を強引に押し通すという意味合いが込められている。
その上で、「〜するべきか、やめるべきか」というのは、主体が無い感じがする。第一のケース「普通の判断ならどうするのだろう」という悩み。第二のケース「自分の意見としてはどうなんだろうという悩み?」どっちに考えてもおかしいだろう。
難しそうな言葉を使わず、「〜するか、しないか悩む」とか、「一般的な判断では〜するのかな」とか言った方が良いのではないだろうか。
べきを使う場面としては、こういう話にこそ「べき」を使うべき。というレベルに抑えておくのが無難だと私は感じます。
参考: 「べき」という言葉はどう使うべきか
広辞苑の「べし」は参考になる。goo 辞書より大辞林 第二版:べし